希望者60人のtwitterアカウントからイメージして、その人がいそうなワンシーンを書きました(2016年)


黒髪の少女が真っ白な崖に立っている。細かな雪が舞うこの場所に不似合いな薄着で、風が吹きつけるたびに陶器のような額が露わになる。見下ろせば青い湖は凍りつき、そこに走った割れ目がうたう歌が聞こえる。彼女は肺が軋む冷気を深く吸い、常人には聴こえない音でなにかを呼ぶ。

毛足の長いラグ、丸テーブル、すかすかの本棚、転がるぬいぐるみ。足を伸ばしてベッドにもたれながら甘ったるい果実酒の残ったグラスを傾ける。カーテンの隙間から透明な朝が差し込み、ガラスと液体はうっとり光る。手首を回してその角度を変えながら、彼女は天使の来訪を待つ。

古い物に溢れて鬱蒼とした店内で、無数の壁掛け時計がばらばらに時を刻んでいる。グレーのつなぎを着こなした少年は軋む椅子に全体重を預けながら隣人の吸う煙草の匂いを嗅いでいる。目の前のテーブルに熱々のココア入りのマグがあり、彼はそろりと持ち手に触れる。

埃っぽく薄暗い場所に黒のウールコートを着込んだ青年が立ち竦んでいる。彼の前にある木製の扉は古びていて、上部にステンドグラスが嵌められている。そこから差すとりどりの光が彼の瞳に色を与え、床のひび割れに咲く水仙の花に気付かせる。

夢の中で彼女は高校生で、真新しいローファーが汚れるのを気にしながら銀杏並木を歩いている。西日で黄金色に輝く木々の下、隣にいる同級生の女の子は美しくて、けれどどうしても顔が見えない。彼女は泣き出しそうになる。夢の中でも会えないなんて、と。

白いワンピースの女が、白と黒で構成された奇妙な建造物の中をあてもなくさまよっている。階段を上った先には何もなく、無闇に長い廊下を行くと突き当たりに下りの階段が現れる。そんな状況でも彼女はどこか愉快そうに、腕を大きく振りながら歩き続ける。

明かりの乏しい地下水路に痩せた女が座り込んでいる。彼女は灰色の水の流れを底光りする青い瞳で見つめている。近くから遠くから、ひっきりなしに水滴の落ちる音がする。不意に辺りが暗転し、黒々とした川の中に無数の星が渡っていった。彼女はただそれを見ていた。

どこかあどけない表情をした青年に黒い子猫がまとわりついている。シャツが汚れるのも構わず指先で猫をあやす彼は、遠く聞こえるピアノの音に合わせて鼻歌をうたいだす。窓の向こうには真夏の太陽が照っているのにここはまるで別世界のように清潔で涼しい。

巨大なガラス瓶の中には少年少女が入れられていて、降り注ぐ光を浴びてまどろんでいる。彼らは裸で、皆どこかに傷を負っている。時折そこを訪れる男の目は透き通っていて彼の白衣には絵の具にも似た様々な色が付着している。それは彼らの血液なのだ。

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吹き飛ばされそうに強い風の中、大人びた面立ちの少女が仁王のように立っている。乱れる髪を押さえることもせず、ショッキングピンクのまつ毛を震わせて眼下のビル群を睨めつける。身体に吸いつく滑らかな布地に美しいテキスタイルを散りばめて、彼女は跳ぶ。

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枯れた花束を抱く節くれだった手には古い指輪が嵌められている。荒れ果てた小屋の軋む揺り椅子に座る、彼のひび割れた唇から微かに音楽が流れだす。乾いた涙の跡をなぞって、躊躇うようにそっと触れられた頬の、その感触を思い出す。

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明け方の乾いて冷え切った空気の中、石畳の道に靴音を響かせて女が歩いてくる。クリーム色のファーコートを羽織った彼女は迷いなく歩みを進め、街外れに建つ石造りの塔へ足を踏み入れる。高い窓から身を乗り出し、藍と水色の空へ向かって透明な供物を捧げる。

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気がつくと古びて人気のない住宅団地の一角に立っていた。フリルのふんだんにあしらわれた洋服を着た彼女は、自らの厚底靴が重い音を響かせるのを気にしながら辺りを探索する。ある角を曲がると半透明の人間が目に入ったが、声を掛けるか迷っている内に消えてしまった。

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深い青色をした壁に赤い口紅の女がもたれかかっている。彼女は自分の髪の毛を指に巻きつけながら、靴擦れの痛みから意識を逸らそうとしていた。もうすぐここへ、ずっと待っていた「何か」がやってくる。この美しいハイヒールを脱ぎ捨てても構わないと思える「何か」が。

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ひょろりと背の高い人間が、どういうわけだかフクロウの被り物をして、さわさわと風の渡るすすき野原を歩いていく。薄水色の空に高く舞う鳥の黒い影を見上げて、両手を広げれば飛べるような気分に少しだけなる。ジーンズのポケットを探るとさっき拾った木の実に触れた。

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うさぎを追って飛び込んだ路地はごちゃついていて、古い字体の看板や赤提灯が目についた。何気なく入った大衆酒場は黄色の明かりが眩しく活気に満ちていて、煽られた彼女は見知らぬ料理を注文する。「うさぎ一丁」と出された料理の肉は赤く、とても甘い味がした。

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何年経っても雪が降り止まず高層ビルも埋め尽くされた頃、彼女は地上で暮らすことを諦めて羽を生やし、月を目指すことにした。月への最短ルートを探るため終わらない越冬中の蛹たちを起こし、液化した彼らに話しかける。第一声は「羽ばたき方を教えて」。

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高台に上がると海が見えた。彼女は痩せた体にフライトジャケットを羽織り、遠い水平線を見つめる。植物に化けた異星種の蔓が物欲しげに周囲を這いずっているが気にしない。この辺りの太陽は海に沈む。あの熱の塊が音を立てて炎を絶やすまで、彼女はひとりそこで待つ。

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夕方、帰宅すると部屋の真ん中に大きな玉子が鎮座していた。薄水色をしたそれは高さ1メートルほどで、手のひらで触れると硬くひんやり冷たかった。生き物の気配はしなかった。彼女はこれで、一体いくつのプリンを作れるか想像した。ずらりと並んだ黄色の甘味を想像した。

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眠れずに散歩に出た真夜中、ドブ川に架かる橋が青く光るのを見た。気味悪さより好奇心が勝り近付いてみたがその時すでに橋は光るのをやめ、代わりに川縁に光る花が咲いていた。それを摘もうと川へ降りると枯れ草が指先を掠め、生臭い匂いだけが鼻をついた。

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真っ白な部屋だった。壁も床も天井も、寝具もカーテンもクッションも白だった。彼女は裸体に白布をたっぷりと巻きつけて外へ出る。人々の視線の表す色が彼女の白に付着していく。青、黒、灰、緑、赤、紺、黄。塗り潰される恐怖と色づいてゆく快感に、彼女は酔いしれる。

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うだる暑さと蝉時雨と喧騒、それら全てにうんざりしながら男は歩いた。交差点で数え切れないほどの人々とすれ違った少し後、彼は立ち止まる。どこかから微かに、音楽が聞こえている。この世のものではないような美しく儚げな音に、彼は魅せられ導かれてゆく。

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薄緑色をした甘い風が吹いている。若い彼女はパンを焼きながら窓を開け、その風を頬に感じる。窓には真新しい蜘蛛の巣がかかっていてきれいで、彼女はそれを壊さないように丁寧に触れる。ソーダ水の中にビー玉を落とすと涼やかな音がして、胸に染み込むようだった。

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川は流れてゆく。石は削られ丸くなる。冷たい風を浴びて、棘だらけのアザミは柔らかいピンクの花を揺らす。身体はだんだん透き通ってゆくのに心が言うことを聞かなくて彼女は泣きわめく。魚はそれを見て何も言わず、雲間から光が差していることだけを告げた。

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夜の色をした唇が透明で凶暴なアルコールを奥へ導く。ラバライトの曖昧な明かりに照らされて、瞬きする彼女の瞳はオレンジに光る。幾つもの腕をくぐり無数の夜明けをすり抜けて、彼女は屈託なく笑う。薄汚れたライブハウスの床に、また灰が落ちてゆく。

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終電はとうになくなり、始発の電車にもまだまだ遠い時刻。街のあちこちに若者がたむろし妙齢の男女は人目を憚らずキスをする。彼女は薄いため息をついて両手を唇の前で合わせ、小さくぱんと音を出す。瞬間、人々はみな粒子になって、街灯を反射しきらきら舞った。

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ゆっくりと煙を吐き出すと、ピンク色の綿菓子のような雲になった。隙間から差す金の光が胸を貫き、その痛みを誤魔化そうと次の煙草を探すが見つからない。代わりに口に放り込んだ飴玉が何かおぞましいものに変わったその時、目が覚めた。

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走って走って、なぜ走っているのかわからなくなった頃、ふと気づくと眼前に湖が広がっていた。それはしんと張り詰めていて、青空と周囲の新緑樹以外なにも映していない。彼女は息を整えると服を脱ぎ、ゆっくりと水に入って泳いだ。火照った身体が喜びに満ちていく。

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夕暮れの商店街には奇妙な水色の靄が漂っていた。それは確かに彼の目に見えているのに、カメラのレンズを通すと消えてしまう。数ブロック先の銭湯の煙突から、その靄は溢れているようだった。無関心に行き過ぎる人々を躱しながら、彼はあの煙突を目指す。

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桜の木の根が盛り上がり、アスファルトをひび割れさせている。彼女は3階の窓からそれを見下ろし、それから部屋の古いテレビを見つめた。それはもう壊れていて、白黒の砂嵐しか映らない。無益だとわかっていても、もう会えない人の姿をそういう場所に探してしまう。

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アラン模様のセーターの、そのでこぼこを無意識に指先でなぞりながら、彼女は夜風を浴びていた。熱くなった瞼と頬に冷気が刺さり、白い息が紺色の空に溶ける。気持ちが落ち着いても空を見続けていた彼女の目がふと見開かれた。するすると、月から、縄ばしごが降りてくる。

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散歩の途中でミルクの小川を見つけた彼女は、リュックからざるを取り出して川底の砂をすくった。砂は無色のガラス粒で、ふるうとピンク、黄緑、青の金平糖が残った。彼女はその作業を何回か繰り返し、集めた金平糖を瓶に詰めて立ち去った。スカートの裾が少し濡れていた。

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どこへともなく車を走らせていると、松並木の道へ出た。松の向こうは田畑や果樹園ばかりで、のどかで退屈な風景だった。コンビニで車を降りた時、遠くの空に銀色に光る円盤が浮いているのに気が付いた。野良猫らしきものが吸い上げられていく、その光景をぽかんと見ていた。

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使い古した机の上に気に入りの文具を並べていく。無心で配置している内に、その並びが街のように見えてくる。ざわめきが聞こえ、ごく小さな人々や犬や鳥たちが現れると、彼女はそれに夢中になった。スマートフォンが通知音を鳴らした途端街は消え、彼女の愛らしい文具だけが残った。

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ベランダで煙草を吸っていると、指先から植物が生えてきた。小さなハート型の葉をつけた蔓草がさわさわと生い茂り、腕一本覆ったところで成長を止めた。彼女は煙草を吸い終わるとそれを全部むしってキッチンへゆき、オリーブオイルと塩で炒めてぺろりと食べた。

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いつの間にか、部屋の中に白くてきれいなヤギがいる。あまりに大人しく優しそうな顔をしているから撫でてみたくなって、おそるおそる手を差し出したところで目がさめた。昨日着ていたカシミヤのセーターが、椅子の背にかけられたままふうわりとしている。

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両手で瞼を覆うと、暗闇のなかに点滅する幾何学模様がみえる。嫌なことがある度に瞼の裏を見ていたら、嫌なこと全部に、モザイクのようにその模様が重なるようになってしまった。彼女は枕につっぷして、困ったような諦めたような声を低く出す。「あー」。

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色も形も慎重に選んで大きな花束をつくったものの、贈る機会を失ってしまった。捨てることも慈しむこともできずに萎びてゆくのを眺めていたら、花瓶の水がどんどん増えて溢れてきた。部屋は水浸しで、何もかも嫌になって、彼女はばしゃんと座り込む。

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白い皿に乗った葡萄の小さな一粒を、摘んで口に放り込む。皮に歯をたてると弾けて、つるりと果肉が喉へすべる。飽きるほど動作を繰り返しているのに、葡萄は一向に減る気配がない。このまま食べ続けたらきっと肌が紫色になってしまう、そう思いながらも、また手を伸ばす。

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いつからか、他人の顔がコラージュに見えるようになった。その人自身の顔の他に雑多な事物が切り貼りされていてそれらが常に蠢いている。美しい配置もまれにあったが時間と共に崩れてしまう。映画の中の人々だけは変わらなかった。救いだと思った。

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足元が覚束なくなるほど酒を飲んだ帰り道を、巨大な魚が塞いでいた。魚は街灯の下で黒くぬめり、彼女はそれをナマズの仲間かもしれないと思った。触れてみると粘液と共に銀と赤のラメが付着した。彼女はそれを光に翳してケラケラ笑い、それから迂回して別の道で帰った。

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水面に雪が落ちては消えていくのを眺めながら、水の中からその光景をみるところを想像した。それがあまりに美しくて、彼は思わず水に指を浸した。首筋を悪寒が駆け抜け、指先はびりびり痺れた。凍る寸前の水というのは、最も冷たい水なのだ。

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手のなかで眠る小鳥のくちばしの色を見ていた。桜貝のようなそれは艶やかで滑らかだった。窓に目をやると寒空の下すずめたちが飛び交っている。彼女は、暖かな部屋の少し冷たい手のなかで身じろぎする小鳥を再び見下ろす。軽くてやわらかで、あまりに愛おしい。

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水割りのグラスに間接照明の黄みがかった光が当たっている。彼女は黒光りするカウンターに頬杖をつき、ところどころ剥げた壁に貼られた古いポスターを眺める。腰掛けているスツールの座面をなぞるとビロードの細かな毛が指先をくすぐった。この店自体が生き物のようだ。

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坂道の向こうから夜明けが迫っていた。「逃げなければならない」と思った。彼女は西へ向かって音のない住宅街を走る。家々や電柱を幾つ越えても影は奇妙に伸び続け、赤光がじわじわと忍び寄る。つまづいて膝をついた地面に小さな花が咲いていて、その陳腐さに彼女は微笑む。

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ずっと忘れていたことがあって、うたた寝の中でそれを思い出したのだが、目覚めた拍子に忘れてしまった。休日の午後は静かで、部屋中の日用品が絵画のように輪郭を濃くして存在を主張する。覚醒するにつれて喪失感が襲ってきたが、飼い猫がじゃれついてきてそれも忘れた。

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拳銃を手に入れた彼女は、好奇心を抑えきれず羽毛の詰まった枕に銃口を押し付けた。撃鉄を起こして引き金をひくと、感じたことのない衝撃に鼓膜と腕がびりびり痺れた。彼女は重い銃を手放して無意識に自分の髪の毛を触った。今飛び散った羽毛のように、何だかひどく柔らかい。

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コンパクトなライダースを羽織りオレンジの髪を風に流しながら歩く彼女は、つい先ほど機関銃に全身を撃ち抜かれたばかりだった。身体中くまなく空いた穴の、そのひとつを小さな蜜蜂がすり抜けたものだから「蜂の巣」と呟いて彼女は笑う。見上げれば雲一つない晴天だった。

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朝、身支度をして鏡の前に座っていたら、そこに映った女が話しかけてきた。「海へいきましょう」。伸びてきた手を掴んだ時には既に鏡の中に居て、左右反転した自宅を出ると海だった。ふたりは手を繋いだまま波打ち際へ走り、飛び込んで、しばらくすると見えなくなった。

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本棚の隙間から出た黒い糸を引っ張ってみるとそれは長い髪の毛で、物理法則を無視した動きで女がずるりと現れた。女は床に座り込み、面食らった彼女に構わず赤い唇で喋り出す。それは全て本棚に収められた小説に書かれている言葉だったので、彼女は女を「しおり」と名付けた。

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もう動かない古い車に乗り込んで埃と黴の混じった匂いを嗅いでいた。後部座席に転がっていたラジオに電池を入れてチューニングを合わせてみる。最新のポップソングが車内の空気を乱し、興醒めした彼女は窓を開けて顔を出し深く息を吸い込む。新緑の香りがした。

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青みがかった透明な光が差すだけの何もない部屋で彼はじっと耳を澄ませていた。台所のシンクに置かれた食器には水が溜まっていて、そこに水滴がぽつりぽつりと落ちていく。枯れて久しい花瓶の花を一瞥し、彼は立ち上がる。今夜彼はこの部屋を去る。

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「この足でどこまでいけるのか」。問いかけながら彼女は自身の足首をさする。夜の空気はぬるく土の匂いがして、木々の輪郭はむくむくと蠢いていた。全身を金属にすげ替える想像をしながら顔を上げると真っ黒な空に一本の電車が走っていて、窓の列が光って見えた。

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露わにした首筋の清々しさは時にかすかな頼りなさを連れてくる。彼女はいつも遠い地平を目指しながら、手の届く範囲の柔らかなものたちを愛でる。橙色の西日が差すときだけ羽を生やす彼女はそれが正常に動作するかだけ確認して再び人の姿に帰る。期が熟すのはまだ先らしい。

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どうしようもない気分になって、コンクリートに頭を打ち付けたら色とりどりの血が吹き出した。この色を使って絵でも描こうと思案している内に立っていられなくなり、彼は地面に仰向けになって空を見た。都会特有の濃紺が広がっていて、星を数えてみたがすぐに尽きた。

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春風の中を歩いていると目の前にひらひらと薄紙が落ちてきた。手にとって翳すとそれは淡い色彩で描かれた地図だった。複雑な地形に蟻塚のような建造物が描かれた紙を、彼女は丁寧に畳んでシャツの胸ポケットに収める。折に触れて、彼女はこの地図を眺めることになる。

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チョコレート製の地面はみるみる溶けて、一歩ごとに深く沈みこむ。吐き気がするほど甘い匂いに満ちた空間に、耐えきれなくなって彼女は叫ぶ。開かれた喉の奥に凍りついた地平があり、彼女はその中で座禅を組み目を閉じている。頭上に言葉が、豪雨のように落ちてくる。

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ぬかるみに足を取られながらそれでも歩き続けるのは、丘の向こうから聞こえてくる甘美な音楽のせいだった。石に打ち付けた膝が血を流し、塞がったはずの傷跡も時折疼いた。疲れ果て、冷たい泥に半身を埋めた時、地の底からも音楽が聞こえることに気が付いた。美しい音だった。

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真夜中の台所でひとり、黙々と料理をする。鍋の中で崩れていく野菜を眺めながら、過ぎた日々のことやありもしない過去を回想したりする。何気なく開け放った窓から狐がするりと入り込み、彼女の足元にまとわりつく。これから何が始まるのか、彼女は呆然としてしまう。

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まぶたにガーネットの赤だけのせて彼女はふらりと家を出る。人ごみをすり抜けて雑居ビルに辿り着くと古いエレベーターに乗り込んで最上階を目指した。重い扉を開けて屋上に立ち、柵から身を乗り出しながら煙草に火をつける。目の前を、カラスが悠々と横切っていく。