SNSで募集したテーマを元に500字未満の掌編を書きました(2017~18年)


『シマウマたち』


 スクランブル交差点の信号待ちをする何百もの人々の中で、ひとりの中年男が苛々と片足を揺すっている。十数分前、別の街で天気雨に降られた彼の脂ぎった髪は乱れており、よれた背広はびっしょりと濡れていた。乾いたアスファルトを歩く人々は時折男を気味悪そうに一瞥し、その度に彼はぎりぎりと歯軋りした。この男には余裕というものが無く、彼は何の罪もない横断歩道の縞模様すら睨みつけた。その白と黒の単純な繰り返しにもやはり苛立ちを覚え、男はついに舌打ちをした。

 その直後、地響きのような異様な音に気付いて彼は顔を上げ、目に入ってきた光景に絶句した。道路を埋め尽くすほどの大群のシマウマが、みな同じ方向へ疾走していた。ゴミや埃を巻き上げながら猛然と流れてゆく群れを彼はぼうっと眺めていたが、その中の一頭に、体に布を巻いただけの半裸の女が跨っているのに気付いた時は目を見開いた。あまつさえ、その女は男に向かってウィンクしたのだ。瞬間、男は重く湿った背広を脱ぎ捨てて群れへと駆け寄り、地面を一蹴りすると軽やかに宙を跳んだ。走り続けるシマウマの背に飛び乗った男と、その他の群れは交差点を西へ駆け抜け、やがてどこにも見えなくなった。


テーマ:狐の嫁入り、シマウマ、信号機


『モモコちゃん』


 結果から言えば、私と彼女はひとことの言葉を交わすこともなかった。それでも私は彼女の姿を忘れることができずにいる。校則違反の、茶色くカールした髪の毛や裾を切った短いスカート。意志の強そうな眉、密度の濃いまつ毛、どことなく挑発的な目つき。そばかすが目立つ白すぎる肌、小さく上向いた鼻、ふっくらとした唇。スカートが揺れるとのぞく太腿はごく薄いピンク色だった。私はいつもほとんど無意識に、彼女を目で追っていた。

 ある日の放課後、携帯電話で誰かと話す彼女を見た。湿度が高く不快な汗がにじむ薄暗い廊下に、彼女の低く抑えた声だけが響いていた。電話を持つ左手を何気なく見やった私は、そのずり下がった袖口から目を離すことができなくなった。陶器のようにすべすべした彼女の腕に刻まれていたのは赤茶色の細かな傷跡だった。やがて、私の存在と視線に彼女は気付いた。彼女は袖のボタンを外すとゆっくりとまくり、そこに描かれた幾何学模様を露わにした。そして、ポケットから安全ピンを取り出すと傷に当てる素振りをし、八重歯を見せて微笑んだ。初夏の夕暮れの赤い光が彼女の頬にさしていた。彼女が学校を去るほんの少し前のことだった。


テーマ:NUMBER GIRL「透明少女」


『真紅』


 女をひとり飼っている。血の気のない真っ白な肌に黒くて長い髪を持ち、痩せていて、驚くほど端正な顔立ちをしていた。彼女は赤いドレスだけを身に纏い、他には何も持っていなかった。名前も、言葉も、心さえも、彼女には無いように見えた。人形というには息遣いがあり、愛玩動物というには接触がなく、観葉植物を置いている感覚が一番近い。仕事柄、美しい女は見飽きていたが、彼女を見ると俺の心は安らいだ。俺は毎日、花を一輪買って帰った。真紅のバラの花。それが女の食料だった。

 帰宅すると部屋の隅で眠っていた女がゆっくりと起き上がる。俺は彼女の乱れた髪を梳いてやり、茎から切り取った花を差し出す。女は両手で受け止め、口元に寄せると音もなくそれを食べる。俺はその様を、ただ眺めた。

 ある夜、俺は仕事をしくじりその咎でひどく殴られた。部屋に戻った時、初めてこの女を抱きしめたいような衝動に駆られたが、結局手出しはしなかった。バラを切った際、花びらが一枚落ちた。俺は、どういうわけか、それを拾って食べていた。ほとんど無味で、うっすら青臭いだけの代物だった。女は俺の腫れあがった顔面や奇行も意に介さず、俯いて静かに花を食むだけだった。


テーマ:バラの花を食べる女


『癇癪持ち』


 彼女は真っ白な固形石鹸を丁寧に泡立てて顔を洗う。私は洗面所の隅にしゃがんで歯を磨きながら、彼女の手の平が滑らかに動く様を眺める。それが二人の日課だった。彼女は私より少し若いルームメイトで、特別仲が良いわけでもなく絶妙な距離感のまま同居して半年になる。こんな暮らしが上手くいくなんて奇跡みたいだと私は思う。同時に、近い将来終わりが来ることも予見していた。だけど、それはあまりにも唐突だった。

 ある朝彼女はいつものように石鹸を泡立てながら、ぽろぽろと涙をこぼした。私は彼女が失恋したばかりだと知っていたし、同情を求めている訳でもないとわかっていたから黙って歯磨きを続けた。彼女は手の平を動かし続け、一向に洗顔に移る様子がなかった。泡はどんどん膨らんでいく。手の平を超え、手首を覆い、肘まで到達した辺りで私は異変に気付いた。石鹸ではなく、彼女自身が少しずつ溶け出して、泡になっているのだ。上半身が埋まり首元まで白い泡に包まれた彼女はまるで幼い子どものように顎を上げて大声で泣いた。

「ぱちん」

 泡が弾ける音がして、彼女は消えた。私は歯ブラシを咥えたまま大量の泡が溢れ返る洗面所で惚けていた。


テーマ:洗顔石鹸のあわ


『月夜』


 この味のないゴムのような塊をどうやって飲み込めば良いのか。わからないまま咀嚼を続けている。愚かな私はその行為を止めることもできず、時折吐き気に襲われる。極端に物が少なく生活感のないあの部屋の、固い床に敷かれたシーツの波の中で、あの男は「愛している」と言った。私は背中が痛かった。私はその日から、その得体の知れない塊を口内で弄び続けることになった。

 ある夜私はあの部屋にいて、カーテンのない窓からは月の光が射していた。私は裸のまま窓に歩み寄り透き通った銀色の光を浴びた。そのうち私の中にひとつの閃きが生まれた。

「ああ私は蛇なのだ」

 途端、元々低い体温がさらに下がり、痣だらけの白い皮膚はぬらぬらと艶めいた。瞳孔が細く変わると見える景色も思考も変わった。私は顎を上向かせると、口内にあったものをゆっくりと嚥下した。塊が喉を通って胃の腑へ落ちていくのを感じながら、私は音も立てずに移動した。シーツに包まり無防備に眠る男を見下ろして私は空っぽになった口を開いた。できる限り大きく開いた。顎の骨がカタリと外れた。私は大蛇の姿で、そのちっぽけな男を見つめた。月の光が男の面を照らしていた。呑めるだろうか、この男を。


テーマ:嚥下


『歪』


 目玉模様の蝶、瓶詰めの蛙、栗鼠の骨格標本、様々な姿形の植物の種子…彼の部屋はさながら小さな博物館のようだった。標本を傷めないようカーテンが引かれたそこは薄暗く、僕は意識的に呼吸を浅くしながらそれらを眺めた。部屋の主は僕よりずっと年上で、いつも白いYシャツに黒のベストとスラックスを身につけていた。白髪混じりの黒髪を一分の隙もなく固めた彼はいかにも神経質そうに時折片目をひくつかせる。昔遭った事故の後遺症だと聞いている。

「これは何ですか」

 ガラスケースの中に黒く光沢のある角のようなものが2つ。長さは30センチほど、枝分かれせず湾曲しながら先細りしていて、螺旋模様が刻まれている。

「私の一部だったものだよ」

 およそ冗談とも思えない静かな声に振り向くと、彼は片目を閉じて僕を見ていた。痙攣が強く出ているらしい。瞬間、僕の脳裏に妙にはっきりとしたイメージが浮かんでくる。若く美しい男が、この禍々しい角を冠して闇の中に佇んでいる。瞳と角だけが鈍い光を放っていてその姿はまるで、

「悪魔のようですね」

 僕はそう言って、彼特有の少し歪んだ微笑みを期待した。彼は応えず痙攣を宥めるようにゆっくりひとつ瞬きをした。


テーマ:角(つの)


『半透明』


 またあの娘だ。俺をさんざん振り回した挙句めちゃくちゃに傷つけてから去っていった女。あれから何年も経ったのに、今でも時折夢に現れては俺を口汚く罵ったり甘く誘惑したりする。彼女を支えられるのは俺だけだと思った。彼女を変えられるのも俺だけだと思った。だけどどっちも勘違いだった。彼女はきっと行く先々で、相手にそう思わせていたんだろう。俺はあの娘の夢をみる度に自分が捧げた心と時間が惜しくなる。怒りと悲しみが沸き上がってくる。でも同時にあの娘が俺に見せた寂しそうな顔や安らいだ表情を思い出して、本当にあの時手放してしまってよかったのかと、どうしようもないことを考えてしまう。俺はいつまであの娘に同情するつもりだろう。憎んでしまった方が楽なのに。

 明るく晴れた初夏の午後、街で偶然あの娘を見かけた。幼い子どもを連れて笑っているけどその体は半透明に透けていた。俺は少し驚いて、それから笑った。ロクでもないことを繰り返しているうちにきっと魂の大切な部分を失くしてしまったんだろう。ざまあみろ。


テーマ:忘れた頃に夢にやってくるあの娘について


『金魚』


 いつも黒い服を着ていた。同級生にカラスとかお葬式とか言われてもやめなかった。黒以外の色、まして明るい、派手な色など到底自分に似合うとは思えなかった。

 中学の3年に上がり、所属する部活に新入生が入ってきた。幼さの目立つ後輩たちに特に興味はなかったが、親睦会と称し私服で集まったファミレスで私の目は釘付けになった。赤いワンピースを着た彼女。適度に上品な素材と形で腰は同色のリボンでしぼっている。鎖骨まで伸びた黒髪を揺らす彼女は健康的で、きれいだった。

 それから彼女とはずっとただの先輩後輩として過ごしたが、私の中では彼女に対する憧れと、憎しみにも似た仄暗い気持ちが膨らんでいった。卒業する時、私は耐え切れなくなって彼女を呼び出し、告白まがいのことをした。彼女は温度のない目で私を見つめ「意味がわからないです」とだけ言い捨てて去った。

 ほどなくして私は金魚を飼い始めた。ひらひらの赤い尻尾が美しい金魚だった。私は時々金魚を見つめ、その尻尾を切り落として身に纏うことを想像する。想像の中の私は美しくて、赤いワンピースがよく似合う。美しい私は死んだ金魚を哀れんで、完璧な涙を流すのだ。


テーマ:赤いワンピースに憧れる